映画『流浪の月』感想 *ネタバレあり

皆さんお久しぶりです。流浪の月の映画を見てきたので、その感想です。

ネタバレを含むので注意してください。

小説は既読です。

たくさん悪口を書くので嫌な人はブラウザバックをお願いします。

 

 

全体を通しての感想からですが、はっきり言って、考えうる限り最悪のできだと思います…

なので本当に悪口を書く記事になると思います。再度になりますが、嫌な人はブラウザバックをお願いします。

 

映画を見たあと、ネットの評価を調べると星4とか付いてたので心底驚きました…

もしかして自分だけ違う映画を見ていたのか?って思うくらいに...

 

この映画を通して、視聴者に何を伝えたかったのか、何を考えてほしかったのか全く分かりませんでした。

小説版では、「性愛ではない人間関係」と「やさしさのかたち」がテーマになっていると思います。この作品の魅力は、話を読み進める中で、登場人物の苦悩や互いに寄り添う姿を通し、自分がこれまで当たり前に行使してきた優しさのあり方を見つめ直すことができる点や、男女関係を性愛や恋愛といった十把一絡げにせずに築きあげていける点であると思います。

映画版ではこの二点とも十分に表現されていないように思います。特に映画では最終盤で出てきた、文が更紗の唇を指でなぞるシーンは小説と180度解釈が異なり、この作品の根本を覆す表現でした。

その辺をちゃんと表現しないのなら、なんのためにわざわざ『流浪の月』を映画にしたのかがわからない。犯罪と許されない愛と逃避行を描きたいだけなら『八日目の蝉』を見てるほうが100倍マシだし、異常な恋愛と何か切ない感じを出したいだけならその辺の適当な小説で十分再現できると思います。

とはいえ、小説ではなく映画という形式を使うわけですから、必ずしも原作通りが正解というわけではありません。映画には映画でしか表現できないものがあります。その、映画ならではの利点を生かすために、結果として原作とは異なる形で話が進んでいくのであれば、それは非常に素晴らしいことだと思います。

しかし、今作に関しては原作の主題を曖昧にしたために何か得られたものがあるか、と言われると答えはNoだと思います。確かに役者さんたちの演技は非常に見事で、これは映画ならではの表現だなとは思いますが、それと主題をぼかすことは明らかに背反ではなく、両立可能です。

小説を読まずにこの映画見た人はこの作品を通して何を感じ取れたのか全く予想がつきません...

「あぁ、文は身体的特徴から大人の女の人を愛せず、ロリコンになってしまったんだね」みたいな話になってないですか?

「文も更紗も単に愛し合ってるだけなのに外野がうるさくてかわいそう」みたいな話になってないですか?

この映画を見た人がその人なりに何か感じるものがあれば幸いです。

 

以上が全体の感想です。

次は細かいシーンの話しですが、枚挙に暇がなくなってしますので特に印象的だったシーンをいくつか挙げていきます。

 

小説の中で特に好きだったシーンが2つあるのでまずはそこから書きたいと思います。

まず最初の更紗が「ふみぃぃぃぃぃ!ふみぃぃぃぃぃ!」と叫ぶ声が動画で再生されるシーンからです。この更紗の叫びは作中で何度も繰り返され、特に最序盤の動画の声バージョンでは物語の不穏さを表す印象的なシーンでとても大好きでした。ですから、劇場版での演技に期待していましたが、ちょっと解釈違いで残念でした。

しかし、これは映画版が悪い!というよりも単純に解釈違いだったため、「まぁ、そういうこともあるか」と思ってます。

離れたくない人から強制的に引き離されるときに出る叫ぶってもっと後ろが伸びるような、息が切れるまで声を震わせるような切羽詰まった感じを期待していたので、駄々をこねる子供のような叫びで少し残念でした。

とはいえ、さっき言ったように、これはただの解釈違いなので仕方がないです。

 

問題はもう一つの特に好きだったシーン。文の「引っこ抜いて捨てる」のシーンです。

小説では、誘拐されてきた更紗が日の当たらないところに置かれた弱ったトネリコを見て「みんな大きくなるよ。大人にならない人はいないよ」「トネリコがおおきくなったらどうするの?」といった問いかけます。それに対して文は「引っこ抜いて捨てる」と返します。

この段階では文のことに関してはロリコンである(実際は違うが)ことしかわかっていないため、更紗の「みんな大きくなる」という言葉はロリコン的な意味での残酷さと、文の「引っこ抜いて捨てる」という答えから連想される、更紗をモノのように捨て去るのではないかという不気味さでゾッとしたため印象的でした。

また、このシーンは終盤でも非常にキーになるシーンで、文が大人になることができない病気だと分かったときに、更紗の何気ない「大人にならない人はいないよ」という言葉がもつ本当の殺傷能力が分かるところや、文の実家で捨てられたトネリコと自身を重ね合わせる文といった大事なシーンであり、それゆえにとても大好きなシーンでした。

しかし、劇場版は丸々カット...

じゃあトネリコの件はやらないんだと思っていたら、実家のトネリコは出てくるし…

トネリコ出すなら「引っこ抜いて捨てる」といってくれよ...とっても大事なセリフじゃんか...更紗のセリフ含めてもさ...

『流浪の月』は話の事件性よりも、こういった掛け合いや心情描写が素晴らしい作品だと思うので、その辺をもっと残してほしかった。

 

以上が小説版で特に好きだったシーンです。

最後に数シーン挙げて終わります。

まず、幼少期の話が少なすぎて、更紗が本当にただのストックホルム症候群に見えてきます。夜中にレイプ的なことをされていたことを打ち明けるので完全にストックホルム症候群に見えるわけではないですが、アイスをご飯として食べる件然り、更紗が他の友達とは価値観が違っていて不自由を感じている描写はもっと入れたほうがよかったかなと思いました。

 

次に文が更紗の唇をなでるシーンです。

この記事の前半にも書きましたが、ここは性愛的な表現ではなく、自身の身体的特徴から女性に怯えを持つ文が、自分を恐れさせない幼い女の子に欲情するしかないと半ば自暴自棄的な、実験的な行動に出るシーンです。しかし、映画では最終盤に登場し、あたかも更紗に性愛を抱いていたかのように思わせるようになっています。

このシーンに関わらず、文も更紗も恋愛チックな態度をとることがしばしばあり、ただの恋愛でいいなら『流浪の月』でなくてもいいのになぁ…とずっと思ってました。

 

最後に一点、文が「捕まればすべてが明らかになる」というシーンです。このセリフがをわざわざ入れたのにも関わらず警察から文はロリコン扱いされており、何も明らかになっとらんやんけ!ってなりました。なんか意味ありげなセリフだからとりあえずいれとこーって入れたんじゃないの?ってずっと思ってます。というかホントに原作読んだの?????

 

以上、話は尽きませんが感想でした。なんで評価が高いのかが本当にわからない。

評価が高いだけならまだしも、原作ファンで低評価をつけている人もほとんどいないのが分からない…本当にわからない...